大判例

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名古屋高等裁判所 昭和35年(う)366号 判決 1960年9月21日

被告人 菅野恒夫 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人らを、各懲役三年六月に処する。

原審における未決勾留日数中各六〇日を右各本刑に算入する。

押収中の「しの」一挺(証第一号)は、これを没収する。

理由

論旨第一、二点事実誤認及び法令違反の主張について、

所論は、原判決が本件被告人らの所為を恐喝及び傷害罪と認定したのは、事実を誤認したか、法令の適用を誤つた違法があるもので、被告人らの所為は、強盗傷人罪として処断せらるべきであるという。

原判決は、起訴にかかる被告人両名の強盗傷人の訴因について、被告人らが共謀のうえ、原判示昭和三四年一一月二一日午後七時ころ、原判示中村区下米野町二丁目三五番地先路上において、栗田正雄(当時二四年)を脅して、同人から金を取ろうと考え、同人に対し、被告人らが交々原判示の殴る蹴るの暴行を加え、更に、原判示しの(証第一号)を同人に示し脅迫したが、栗田が金を出さなかつたので、恐喝の目的を遂げなかつたが、その際右の暴行により同人に対し全治二日を要する原判示傷害を与えたとの事実を認定し、被告人らの所為を各恐喝、傷害罪に該るものとして、処断している。そして、原判決は被告人らの所為を強盗致傷と認め難い理由として、「被告人らは、当日建築工事に雇われ仕事終了後、日当及び祝儀として合計千百円宛を受取つて喜んで帰路についているので強盗をしようと企てる動機が認められない」「被告人らは栗田に暴行する直前に数人と婦人とすれ違つた際、これをからかつているが、このようなことをした直後に強盗をするということは通常考えられない。又、被告人らは酒に相当酔つていたことが認められる」「被告人らは栗田に暴行後、ふらふらと歩いて現場を立ち去つており財物奪取についての意欲が余り認められない」「被告人らは、本件犯行後逃走するような態度をとつていない」等の諸状況をあげ、更に又栗田正雄の原審公判廷の供述態度等に徴し、同人は相当に憶病者であることが認められるので、同人は、被害当時の被告人らの行動を過大に感得したものというべく、被告人らの暴行、脅迫の程度はそんなに強いものであつたとは考えられない、としているわけである。

然し、原判決のあげている右諸状況の如きは、実は、強盗と恐喝とのいずれにも共通する事情というべく、これらの状況が認められるからといつて恐喝罪の成立は認められるが、強盗罪の成立は認むべきでないとする決定的な事情と目すべきものでないことは、まさに検察官の指摘するとおりである。次に、強盗罪と恐喝罪とを、その手段として用いられた暴行、脅迫の程度により区別し、前者においては被害者の反抗を抑圧するに足りる暴行、脅迫、後者においては、その程度に達しないそれとして、両者の区別を量的なものに求めるわが判例法のもとでは、両者を識別すべき基準となる暴行脅迫の程度については、これを客観的標準に従つて決すべく、すなわち、暴行、脅迫の態様、犯行の場所、時刻等の現場の状況、犯人の服装、態度、体躯、人数、それに被害者の性別、年令、性格、健康状態、精神状態等の具体的事情すべてを考慮したうえで、当該の暴行、脅迫が客観的見地から見て被害者の反抗を抑圧するに足りる程度に強力なものであつたか否かを判断することにより決せられるものであることは、最高裁判所屡次の判例の示しているところである。従つて、本件において、被告人らの所為が強盗罪を構成するものか、恐喝罪を構成するものかは、右の諸点を本件の具体的事実に即して検討すべく、翌判示栗田正雄が、仮りに原判決にいうように性憶病な者であつて、被告人らの言動を過大に感得したとしても、かかる事情も又前記諸事情と相俟つて、場合によつては、優に本件を強盗罪として評価させるに足りるものであり、栗田正雄が当時感得した畏怖の程度は、それは、それなりに受け取つて、本件強盗罪の成否を判断するについての一資料とすべきものである。しかも、本件において、栗田が被告人らの言動について感得したところが、原判決のいうが如く、同人の憶病の故を以つて、しかく通常人の感得したであろうところを離れて過大なものであつたとすべきであろうか。被告人らが本件犯行に使用した「しの」(証第一号)は、元来大工用具ではあるが、それは鉄製長さ一六糎のもので、先端は尖つており、一見あいくちに酷似しているもので、これを以つて人の身体に攻撃を加えた場合、その使用方法如何によつては、その及ぼす効果は、あいくちと実質上なんら異るものでないことは、明らかであり、又その把手の部分を除くその余の部分は白銀色に光つているものであるから、かかる道具を見慣れない第三者(栗田正雄がそうであつたことは記録上明らかである。)が、自己の身体にこれを突きつけられた場合、(同人が原判決にいうが如く、単に、「しの」を示されただけのものではなく、同人の左脇腹等に突きつけられたものであることは、同人の原審公判廷の証言に徴するも明らかである。)これを、あいくちと誤認するのは勿論、当時の状況の如何によつては、これを身体に突き刺される等して殺されるのではないかと危惧の念を持つたとしても、蓋し無理からぬことである。従つて、本件において、栗田正雄が又そのように感じて畏怖したからといつて、同人は憶病者だから、そのように感じたのだ、といつて笑い去ることは、とうてい許されないところである。

次に、被告人らが本件において、栗田正雄に対して加えた暴行、脅迫の態様は、果して、原判決に認定するとおりのものであつたか。そして又、本件犯行現場附近の状況は、どのようなものであつたか。以下、これらの点について、記録及び原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討し、これに当裁判所のした事実調べの結果を併せ考えてみると、次の事実が認められる。すなわち、司法警察員作成の実況見分調書並びに当裁判所の検証調書及び証人栗田正雄の原審第三回公判調書中の供述記載、同証人の当公判廷の供述、それに証人佐々木うたの原審第五回公判調書中の供述記載、同証人の当公判廷の供述を綜合すれば、本件犯行現場は、急行電車通過駅である原判示近畿日本鉄道米野駅から、南方約二五〇米の地点であるが、同所は、同駅の裏通りに当る道路で、その西側は木柵を距てて鉄道線が走り、日没後は、平素から人通りも少い所で、本件犯行当時も栗田正雄、佐々木うた、その他二、三名の通行人しかなかつたこと、しかも附近に街燈の設備もなく、犯行当時は既に薄暗らかつたこと、被告人らは、同所附近を通行中の栗田正雄の正面から同人の進路をふせぎ、その前に立ちふさがつて、肩を押え、「金を百円貸せ」と要求し、そのままの体勢で道路右端電柱の所迄押して行き、被告人水木が、栗田の顔面を手拳で二、三回殴り、続いて被告人菅野が足や腰を二、三回蹴り、更に手拳で顔面を数回殴打し、栗田が被告人らの要求に応じなかつたところ、被告人水木は「しの」(証第一号)を取り出し、栗田の左脇腹に突きつけ、「金を出せ、動くと刺さるぞ」と脅迫し、栗田は右「しの」を見て、あいくちだと思い、このままでは殺されるかもしれないと怖れた同人が、「助けてくれ」と声を出して救いを求めるや、被告人菅野は、す早くその口を押え、同水木の所持していた「しの」を取り上げ、栗田の胸部に突きつけ、「千円出せ」「動くと刺さるぞ」「出せ、少し位持つているだろう」と脅迫し、続いて被告人らは、交々手拳で栗田の顔面を数回殴打し、更に所携の折箱で一回づつ殴打したため、栗田はその場にしやがみ込んだこと、そして、同人はすきを窺つて判示米野駅方向に逃げ出したところ、被告人らは二〇米位その後を追い、被告人水木がその肩をとらえて、更に、「金はないか」と申し向け、同所で被告人らは交々顔面、頭部を殴打したため、栗田は又その場にしやがみ込み、再び被告人らのすきを見て北の方に逃げ出したが、その際には被告人らはもはや追跡して来なかつたこと、右暴行の結果、栗田は鼻柱部、左顴骨部、頬部に打撲傷並びに鼻出血の傷害を受けた事実を、それぞれ認定することができる。してみると、被告人らの栗田正雄に対する暴行、脅迫は、原判決の認定したところと異り、その態様は、かなり強力であり、その暴行にしても、被告人らの要求に応じないときは、更に暴行を加うべき旨の単なる害悪の告知の意味を持つだけのものとは認め難く、それ自体相手方の反抗を抑圧するに足りる強力なものであつたというべく、しかも、被告人らの暴行、脅迫の態様は、右に見た如く執拗であり、又被告人らが、栗田に対し、前記「しの」を突きつけた当時の状況の如きも、既に説明した如く、「しの」の形状及び被告人らの行動と相俟つて、ひとり栗田に限らず、一般の第三者を同人の立場に置いて考えてみても、あいくちと誤認せしむるに充分なものと認むべく、これを突きつけられた栗田が、生命の危険を感じたとしても、蓋し、それは当然のことと考えられる。

以上の諸事情を綜合考察すれば、本件において、被告人らが栗田正雄に対し用いた暴行、脅迫の程度は、これを客観的に観察して、相手方の反抗を抑圧するに足りる程度のものであり、強盗罪を構成するに充分なものというべきである。もつとも、原判決は、栗田の蒙つた傷害の程度を全治二日と認定することにより、被告人らの本件暴行の程度が軽微なものであつたことの認定の資料にしようとしているが、栗田の原審公判廷の「痛みは翌日一日で病院には一日だけ行つた。顔のはれつぽい状態は一日だけではひいた」旨の供述だけで翌日、その傷害の程度を全治二日と即断することはできず、原判決引用の医師斉藤四郎の診断書によれば、その傷害の程度は全治一週間の見込とあるのであるから、原判決の認定した如く、しかく軽微なものであつたとすることはできない。次に、当時若干の所持金を有していた栗田が被告人らの再三の要求にも拘わらず、遂に被告人らに対し金員を提供しなかつた事実が認められるが、これとても、必ずしも被告人らの本件所為を強盗罪にあたるものと認定するについて、支障となるものではない。果して然らば、原判決は罪となるべき事実を誤認し、強盗傷人罪を構成すべき事実を、恐喝及び傷害罪として認定したものというべく、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項に従い原判決を破棄するが、本件は、記録並びに原裁判所及び当裁判所が取り調べた証拠により当裁判所において直ちに判決できるものと認められるので、同法四〇〇条但し書に従い被告事件について更に判決する。

(罪となるべき事実)

被告人両名は、酔余通行人より金員を強取しようと企て、昭和三四年一一月二一日午後七時一〇分ごろ、相共に名古屋市中村区下米野町二丁目三五番地先路上を歩行中、折柄同所を通りかかつた栗田正雄(当時二六年)を呼び止め、同人より金員を強取すべく、同人の前に立ちふさがつて、「金を貸せ」と申し向け、同人を附近の電柱の陰に押して行き、被告人らは交々、右栗田の顔面を手拳で数回殴打し、あるいはその足や腰を蹴飛ばし「金を出せ」と申し向け、同人がその要求に応じなかつたところから、更に、被告人水木において所携の「しの」(証第一号長さ一六糎鉄製のもの)を同人の左脇腹に突きつけ、同人が悲鳴をあげ他に救いを求めるや、被告人菅野において、その口をふせぎ、被告人水木より受け取つた右「しの」を、栗田の胸もとに突きつけ「金を千円出せ、動くと刺さるぞ」と脅迫し、更に、被告人両名は、交々栗田の顔面、頭部を数回殴打し、続いて被告人らのすきを窺つてその場を逃げ出した栗田を二〇米ほど追跡して捕えた上、更にその頭部を被告人交々手拳で殴打し、以つて栗田の反抗を抑圧して金員を出させようとしたが、同人がすきを見てその場から逃走したため金員強取の目的を果すことはできなかつたが、その際被告人らの前示暴行により同人に対して全治約一週間を要する頬部打撲症等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

弁護人は、被告人らは、本件犯行当時酩酊し心神耗弱の状態に在つたと主張するが、被告人らの平常の酒量は共に約五、六合で、当日の飲酒量は多くても六、七合と認められる事実、前引用の栗田正雄、同三浦信夫の各供述記載によれば、被告人らが当時かなり酩酊していたことは認められるが、いわゆる泥酔の状態にあつたものとは認められず、本件犯行に際しても、被告人らは脉絡のある行動をとり、栗田に対する応答も正確なものがあつたことが認められるのであるから、被告人らが相当多量に飲酒し酩酊の状態にあつたに過ぎず、それ以上に是非善悪の弁識力が著しく減退し、従つて又これに基いて行動する能力が著るしく減退していたものとは認められないので、弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人らの判示所為は、いずれも刑法二四〇条前段、六〇条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択すべきところ、本件は被告人らにとつて偶発的犯行と認められるのであり、酔余のいたずら気分が発展して遂に本件の大事をひき起したものというべく、被告人らは平素は鳶職として真面目に働いており、未だ前科は勿論、犯罪の嫌疑をうけ警察の取り調べを受けた前歴も認められないので、同法六六条、七一条三号に則りそれぞれ酌量減軽した刑期範囲内で被告人らをいずれも懲役三年六月に処し、同法二一条により原審における未決勾留日数中各六〇日を右被告人らに対する本刑に算入し、押収中の「しの」(証第一号)は、被告人らが本件犯行の用に供したもので、被告人以外の所有に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用して、これを没収することとし、原審及び当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但し書に従い被告人らをして負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決した。

(裁判官 影山正雄 谷田正孝 中谷直久)

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